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津波流工工四

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琉球民謡声楽譜付

「津波流工工四」ご挨拶(序にかえて)全文

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この度、琉球民謡津波流をお輿しその教本となる「声楽部付津波流工工四」を発刊するにあたりご挨拶申し上げます。
現在の民謡界は益々発展していると思いますが、一方では民謡組織団体の乱立に指導法や普及のあり方等、いくつかの懸念が払拭されなければならないことがあると思います。

戦後共に民謡界を牽引してきた仲間が少なくなった今だからこそ、シューラ―シク、本物の手(てぃ)、本物の風(ふぅ)、香(かばさ)りを残したいと願い、津波流をお輿しここに家元を名乗ります。そのために教本を刊行いたしました。
さて、ここで歩みに触れておきたいと思います。
津波の先祖は私、恒徳から八代前に首里から読谷長浜に下り、私はこの地で父恒清、母カマドの十人兄弟の次男として一九二七年(昭和二年)に生まれました。幼少の頃から三弦は父に、舞踊は玉城盛重を師とする叔父波平栄武に習いました。沖縄戦一年前、十七歳の私は長兄清繁に連れられて上阪して就職します。大阪ではカンカラー三弦を作り枕にして過ごしました。
終戦で久場崎に引揚げ上陸し、家業の散髪屋を継ぎました。お店は近隣の三弦弾きの溜まり場となり、朝鮮特需もあった一九六〇年代の初頭には民謡ショーの草分け的スターとして応援していただき、唄三弦と舞踊で注目されて一世を風靡する人気者となりました。
立って三弦を弾くスタイルが確立したのは、この民謡ショーの始まりと軌を一にします。
この頃は続けて謳う歌がなく作詞作曲活動も始めました。
他方、知名・山内・嘉手苅・喜納・津波のいわゆる後に大御所といわれる方々と共に、「琉球民謡協会」を一九五七年に設立しました。
同じ頃私は恒絃会を発足させます。息子恒英は私や関係者の音楽活動を手伝って、三弦やギターの腕前をメキメキ上達させていきます。
二〇〇〇年には恒英本人が主宰する恒月会の結成に至り、会名の紋章「音魂ウトダマ・オトダマ」を商標としました。この『家判「音魂」』は恒英の刀自絹代がデザイン化したものです。
私のデビュー曲は「東門(あがりじょう)」。二人の合作一号は一九七一年の「浅地紺地」です。
この教本は基本と考える民謡を声楽譜付で編集し本物を知ることが始まりとの思いで六〇曲を選曲しています。
中に二人のオリジナルとなる二四曲を入れてありますが、私たちの教えや本を基にするにも練習、指導が大切な事は言うまでもありません。
これは精進する糧であります。この教本の稿は恒英が起し私が監修しております。

結びになりますが、津波流工工四の発行にあたり百十踏揚を作詞された上原文一氏にはご指導ご協力を頂きお礼申し上げます。
当工工四が琉球民謡普及発展の一助となりますことに加え、みなさまには引き続きご指導、ご鞭撻をお願い申し上げご挨拶とさせていただきます。

二〇一六年十月 吉日

津波流 初代家元  恒絃会々主 津波恒徳
津波流 二代目家元 恒月会々主 津波恒英

※津波流工工四「ご挨拶(序にかえて)」の全文を掲載いたしましたが、一部校正しておりますので『原文』は津波流工工四でご確認ください。

 

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